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2004年1月23日 (金)

出生の秘密(5)ガラスごしの赤ん坊

20040123全身麻酔をかけられたことと、赤ん坊を取り上げたあとに子宮内膜症の手術も行われたため、大量の出血をしてしまい、術後、丸一日、私は意識が回復したかと思うと再び眠りに落ち、朦朧とした状態が続きました。

その間に何度も夫に「子供は何グラムだった?」と聞いていたそうです。

夢の中で真っ白な廊下が続き、その廊下の向こうからヒューっとひっぱられていかれるような感覚を何度も味わいました。これが「臨死体験」というものでしょうか?

麻酔から完全に覚めた後も、ひどい貧血のため、私の身体はなかなか回復しませんでした。出産は水曜日、私が子供たちの顔を初めて見たのは3日後の土曜日のことでした。しかも自力で歩くことができず、車椅子での対面でした。

ガラスごしの赤ん坊は小さく、でも確かに生きていました。

「小さい子」は自力でミルクを飲むことができず、鼻から管を通され栄養を補給していました。それでもモゾモゾと動いて、確かに生きていました。

月曜日、母親である私だけNICU(新生児集中治療室)への入室を許され、次女・マーヤに初めての授乳をしました。マーヤですら人形のように小さく、うまくおっぱいを飲むことができません。あまりに小さくてこわれそうで、抱いてあげる私の方もこわごわ。それが初めてのふれあいでした。

初めてサーヤを沐浴をさせた時はベビーバスでも足が届かず、あまりの小ささにビックリしました。サーヤの頭は私のげんこつほどもありませんでした。

誕生から1週間後、仮死状態で生まれながらも順調に成長した次女・マーヤは早くも「母子同室」になりました。長女・サーヤはまだNICUの中です。

それでも私だけは毎日NICUに入ることができたので、抱いてあげたり授乳をしたりしてあげようと思っていました。ところが・・・。

次女・マーヤがMRSAに院内感染してしまい、私とマーヤは個室に隔離されました。私もMRSAの保菌者になっている可能性があるので、NICUにいるサーヤとの面会も禁止されました。

わずか数回のふれあいだけで、親から隔離されてしまったサーヤ。サーヤがNICUから出てきたのは9月も下旬にさしかかった頃。約3週間もサーヤは一人ぼっちで生きてきました。

当時、毎日のようにお見舞いにきてくれていた義母が今でもこう言います。「ガラスの向こうで一人で泣いていたことを思い出すと、どうしてもサーヤをきつく叱ったりできないねえ。マーヤに比べてついついサーヤは甘やかしてしまうわ。」

9月の最初の水曜日に誕生した二人と私が退院できたのは9月の最後の日でした。7月25日に入院して以来、今思えば「たった」2ヶ月あまりの入院でしたが、とても長かったように感じます。

今でも少々小さめの二人ですが元気に3歳の誕生日を迎えることができました。

お世話になった先生と看護婦さん、産前はいろいろとガマンをしてもらい、産後は育児主担当として二人を育ててくれている夫、いつも支えになってくれるお義母さん、まわりで私たちを支えてくれている家族や友人、そして・・・双子を授けてくださった神様に感謝している私です。

【Photo】さーちゃんね、透明の箱の中でね、ママー、ママーって泣いてたのよ(サーヤ)

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