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2004年1月20日 (火)

出生の秘密(2)人間保育器

200401202月の受胎告知から数ヶ月間、初めての妊娠ということと、初産婦としては高齢ぎみということもあり、私たち夫婦は安定期に入るまで、かなり大事をとりました。

身体を冷やさないよう下着にも気をつけ、夫は栄養のつく食事メニューを考えてくれ、私も通勤途上で転んだりしないよう十分に注意をしました。

ただ、仕事のピークが年度末に控えていて、毎晩遅くまで残業、帰宅してからも夜中の3時ごろまでパソコンに向かう日々が続きました。

ピークを超えるのが早いか、流産するのが早いか・・・今考えると、結構、綱渡り状態の毎日だったように思えます。それでもなんとか、胎内の双子はもちこたえてくれました。

4月、無事に仕事のピークも乗り越え、7月からの産休(予定日は10月でしたが、多胎妊娠の場合、産前14週間の産休が認められるんです)に向けて、少しずつ仕事の整理をしていかなければ・・・と考えていました。

そして、ゴールデンウィークも終わり、5月半ばのある日・・・。

夜中に出血してしまいました。

何度目かの診察の時に「前置胎盤」と診断されていた私は出血はとても危ない兆候です。出血量はそれほど多くなかったのですが、とりあえず病院に電話しました。状態を伝えると「明日の朝、診察に来てください」とのこと。

翌朝、出血はとまっていました。
私は安心し、「午後からは出勤するから」と会社の後輩に電話し、スーツ姿で念のために病院に向いました。

先生の診断は意外なものでした。
「今から入院してください。」

診断は「切迫流産」。安静が第一とのことで、診察室から病室まで車椅子で運ばれました。病室からトイレまでの歩行は許されましたが、それ以外は一切だめ。お風呂はもちろん、売店や公衆電話のところまで行くことも禁止されました。

スーツ姿で病室の布団に寝せられ、とりあえず夫が持ってきてくれるパジャマや荷物を待つ私。きっと異様な光景だったことでしょう。

最初の入院は10日で退院となりましたが、そのあとも出勤することは難しく、結局そのまま自宅療養となり、年休+産休で出産に向うことになりました。仕掛かったままの仕事もさることながら、会社の机のひきだしに入れっぱなしにしていた食べかけのチョコレートが妙に気にかかっていた私です。(^^;)

自宅療養中はひたすら「人間保育器」としてガマンガマンの日々でした。忙しくしていた時は「何もしないでボーっとできるなんて最高!」と思っていましたが、頭も身体も元気なのに動けない、というのはとても辛いものです。

買い物にもいけないので、初めての赤ちゃんを迎えるための出産準備もままならず、気晴らしもできず、単調な日々を過ごしました。しかも、多胎妊娠による様々なトラブルの一つである「妊娠中毒症」がおこり、食事制限もされてしまい、食べる楽しみも奪われました。

それでも「私は人間保育器」と割り切って頑張っていたのですが、7月25日の夜半、再び出血。その時は出血量も多く、夜中から再入院となってしまいました。

「お盆ごろには、また退院できるかな」と淡い期待を抱いていた私でしたが、結局、その入院は出産後まで続きました。

「前置胎盤」とは胎盤が子宮口近くにある状態で、起きている姿勢は腹圧がかかり、胎盤がはがれ落ちやすくなるそうです。胎盤がはがれ落ちてしまうと大出血を起こし、子供はもちろん、母親も助からないことがままあるとか。

そう脅されて、出産まで私は「人間保育器」として、寝たきり生活を余儀なくされたわけです。日に日にブルーになっていく私とは対照的に、おなかの子供たちがスクスクと育ってくれたのが救いでした。

ところが8月も終わりに近づいたある日、双子の一人がついに・・・。

【Photo】さーちゃん・まーちゃんがおなかにいた時、ママ、おすしも食べれなかったの?(マーヤ)

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